教育に暴力や体罰は必要なのか。日野皓正さんのビンタ事件をきっかけに考える


こんにちは。ボイストレーナーのでんすけ(@densuke_snail)です。

先日、こんな記事を見まして。
件の、日野皓正さんのビンタ事件に対する記事です。

公の場で未成年に手をあげたこと、
実績や知名度を背景にして暴力が行われた可能性がある、
というようなことを指摘し、
教育における暴力そのものを批判されている記事です。

僕自身も、ボイストレーナーのはしくれなので、
日野さんの事件については気になっていました。
このことについて、少し考えてみたいと思います。



教育に暴力・体罰は必要ない

僕自身の話でいうと、
これまで小中学生を教える機会は特になく、
どれだけ若くても高校生ぐらいの若者を教えるぐらいだったので、
「青少年」の教育には直接関わっていないのですが。

それでも、
もうすぐ子供が産まれて一児の父になる予定の僕が
自戒の念も込めつつ言わせていただくと、

教育に暴力は必要ないということです。

いままでも、人に何かを教える時に
暴力はもちろんのこと、
「なんでこんなのもできないんだ!?」のような精神的な攻撃も
できるだけ避けるようにしてきたつもりです。
(イラっとして「なんでできないんだ!!」と言ったことはあったような・・・)

なぜ必要ないと思っているか、というと。
僕自身、それをされると嫌だからです。

・・・それだけか、と思われるかもしれませんが、
結構大事なことだと、僕は思っています。

嫌なことはしない方が効率的

暴力をふるうことが、
青少年を傷つけるんだ、とか、
明確な犯罪行為なんだ、とか
そういう議論もあると思うのですが、
その辺はエラい人たちがさんざん議論されていると思うので、
ちょっと別の視点から。

僕、基本的には、
教える時に「嫌だな」と思わせない方が効率が良いんじゃないかと思っています。

たとえば、掛け算の九九を覚える時。
「ににんがし、にさんが・・・」と詰まった時に
「なんでそんなのも覚えられないんだ!」ビンタ!
とされると、
「なんだこいつウゼー」と思ったり、泣いたりする時間が無駄じゃないですか?

そんなことより、九九を楽しく覚える覚え方を教える方が
ずっと効率がいいと思うわけです。
面白い語呂合わせを教えてあげたりとか、
「ドラえもん九九の歌」で覚えると楽しいよ、とか。

 

それこそ、いま絶賛話題沸騰中の「うんこ漢字ドリル」なんかも、
面白い漢字の覚え方があるよ!
という提案ですよね。

 

音楽を教えるにしても、
社会の規範を教えるにしても、同じこと。

社会の規範を「楽しく」教えるのは難しいかもしれませんが、
少なくとも、「なぜそうしないといけないのか」を説明してあげれば
そしてそっちの方が理にかなっていると理解できれば、
規範を守るようになっていく
のではないかと思うのです。

逆に、暴力でもってむりやり規範を守るように強要されたりすると
その規範は「嫌だけど守らないといけないもの」になります。

すると、どうにかして「規範を守らなくてもいい」理由を探したり、
「反抗してでも守りたくない」という状態になる可能性があります。
あるいは、「一見いい子で規範を守ってる」ように見えても
実は内心で「いつか逃げ出してやろう」と思っている可能性もあります。

暴力で無理やり教えると、不安定にしか定着しないのではないかと思うのです。

暴力・体罰は何のために使われていたのか

元々、教育に暴力や体罰が使われていたのは、
やっぱりそっちのほうが効率が良いと「思われていたから」だと思うのです。

大人の社会の暗黙のルールとか、
理由は知らないけど昔からそうなっていることとか、
お国の利益のために従えとされた規範とか。

そういうのに「黙って従っていればなんとかなる」ということから
子供たちに対しても「黙って従えよ!」ビンタ!
となっていたのではないかと。

でも、今の時代はそうじゃなくて。
「理屈はわからんけど、この規範さえ守ればいい」というのに対して
理屈が分からんものに従いたくない!という考え方が出てきて

納得できない若者たちが
夜の校舎の窓ガラスを壊して回ったり
盗んだバイクで走り出したくなるわけですよ。

いまは暴力・体罰の時代ではなくなった?

そういえば今回の日野さんの事件に関して、
松本人志さんがテレビ番組の中で
「なんで昔は体罰が問題なかったのに、今の時代はダメなのか」
という疑問を呈されていたことがありました。

HUFFPOSTの記事にもありましたが。

ひとつの答えが、ここまで書いてきた
理屈が分からんものに従いたくないという考え方の台頭なのだと思います。

また、昔は正しいとされていたことが
理屈を考えたら実はちょっと違ったわ、とか、
全然別のこっちの規則の方がいいんじゃない?とか、
いままでとは別の考え方が出てきたからではないかと。

例えば、子供にスマートフォンを持たせるべきなのか、という話も
いまは小学校などでは持ち込み禁止の方が多いようですが、
そのうち持つのが当たり前になるのかもしれません。

あるいは、最近の小学生女子もオシャレがすごいようで。。
学校での服装やメイクについても、
どこまで規制されるべきなのかは議論が分かれるところだと思います。

 

こんな風にして
「これさえ守っていれば」
という唯一の考え方が通りにくくなって来た世の中で、
暴力、体罰という「これだけは守れ!」と強制させる手法が
あまり通用しなくなった
というのが
暴力、体罰が時代に合わない、ということなのだと思います。

日野皓正さんは非難されるべきか

で、日野皓正さんの事件の話に戻りますが。

暴力・体罰を使った教師は、非難されるべきなんでしょうか?

これ、僕は難しい話だと思っていて、
暴力、体罰を使って「これさえ守っていればいいんだ!」となかば強制するようなやり方を、
今までの時代は採ってきたわけです。

今の時代での是非は問われるかと思いますが、
昔は問題なかった、どころか、割と普通に行われていたわけです。

年配の方々、あるいは僕ぐらいの年代(30代後半にさしかかる)でも
それが「普通」だと思っている人はいる。
だって、ほんとに「普通」だったんだもの。

それが急に「今の時代には合わない!」と言って非難されても
いきなりは対応できない
んじゃないだろうか。

ブラック企業の問題と同じように、
結局、ブラック企業に勤めている人たちが声をあげたり、
辞めて違う企業に移るなどしないと変わらないように。

その先生の教え方、体罰や暴力は耐えきれないから別の学校や塾へ行きます!と
生徒みんなが「辞める」と言いださないと本人にも実感が伴わないのかもしれないなと思ったりします。

パフォーマーとしてどうなのか

ただ、ここまで書いてきた議論をさておいたとしても、
「公の場で」中学生に暴力をふるう、
というのは、観客としても嫌な気持ちになるんじゃなかろうか。
少なくとも、僕が見てたら衝撃を受けると思う。

日野さんのコンサートでは、
過去にも他のメンバーへのモラハラ的言動や
楽器を蹴るなどしたこともあったとの事ですが。

観客のことを考えると、ステージ上でやるのはいただけないかと。。
そこは、教育者としてどうか、という話と共に、
お客様に見せるパフォーマーとしてどうやねん、という話もある気がする。

あと、どれだけ腹が立ったからと言って、
楽器を蹴ったりするのも、音楽家としてどうなんだろうか。。

シンバルキックが許されるのは吉川晃司だけだよねー。

まとめ

ということで、教育と暴力、体罰についてでした。

結局、暴力や体罰で強制したことって、身に付くのに効率が悪いよ、ということと、
時代の流れで「規範」や「常識」が変わってしまって
理不尽で押し付けて強制させるのはあまり理にかなってないよね、
ということで、暴力はダメ、という結論です。

・・・とここまで書いておいて、
将来産まれてくる子供に対して、どこまでできるだろうか、
と不安になっているのも本音です。

あまりにも言うことを聞かない場合はどうするだろうか、とか、
本当に「悪いこと」をした場合はどうするだろうか、を考え始めると
ここまで書いてきた「きれいごと」だけでは通用しない場合があるのかもしれません。

ただ、なんでもかんでも「良い、悪い」の二元論で決めるのはあまりに難しいので。
「原則、暴力はナシで」と考えておいて、
その都度判断をしていくしかないのかな、と考えております。

みなさんはどうお考えでしょうか。

それではまたー。


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