夏休みアレンジ祭に参加ました。コーライティングの話とやってみたもん勝ちだねって話


こんにちは。ボイストレーナーのでんすけ(@densuke_snail)です。



夏休みアレンジ祭に参加しました

先日、「夏休みアレンジ祭」なるイベントに参加させていただきました。
こちら。

みんな、各々一曲ずつ曲を作って、
その曲をまた別の誰かにアレンジしてもらう。
原曲とアレンジ版を聞き比べてみよう!
という企画でした。

でんすけの参加作品とアレンジ作品

僕が作った曲がこちら。

で、それをアレンジして頂いたのがこちら。

一方、僕がアレンジした曲もあります。
まずは作曲して頂いた原曲こちら。

僕がアレンジしたバージョンはこちら。

いやぁ、自分の技量の無さよ。。
いや、下手なりに頑張ったと思う。

アレンジ祭り参加の感想

参加してみた感想ですが。
やはり、音楽的な面で勉強になったなと。

こういう風にパーカッションを入れるとリズミカルになるのかー、とか、
こんな感じで楽器を増やすとドラマチックなのかー、とか、
生演奏ならではのダイナミクスはこんな感じかー、とか、
拍子で遊ぶという発想かー、とか。

単純に「他の人が作った曲」として聞くのではなく、
「自分が関わった曲」として聞くことになるので、
より親身になって聞くことができるわけです。

その上で、自分だけの発想では出てこなかったアイデアを体感することになる。
これは「自分が関わった」というベースがあるかどうかで、感じ方が違うのだろうと思います。

自分の曲も、他の人が作った曲も、
より深く考えながら聞くことができる。
それが良かった点だな、と思っています。

アレンジをしてもらった感想 – 音楽の理解の難しさ

自分の曲をアレンジしてもらうと、
当然自分で考えて聞き込んで理解している曲でもあるので
別アレンジにしてもらった時にゼロからの理解をしなくて済むのがわかりやすいなと。

初めての曲を聞くと、
どういうメロディで、どういうコード進行で、
リズムパターンがどうで、構成がどうなってて、
どういう雰囲気を感じるのか、
ということを瞬時に判断しながら聞いているものだと思うのですが。

これは意外に、人間にとって難しい判断をやっているのではないかと。
音楽を「理解する」というのは、実は大変なことなのだなと。

そういう意味で、「ゼロからの理解をしなくて済む」というだけでも
音楽を聞いて理解するには有利になるんだな、と感じたわけです。

あと、元々の自分の曲の理解を、
いい意味で捻じ曲げてもらえることに対する快感もあったり。

僕はあのメロディで、あの雰囲気の曲を思いついて作ったわけです。
で、どんなアレンジになるだろう、といろいろ想像もしていた。

でも、実際にアレンジされたものを聞いてみると、
「まさかの!」というアレンジだった。
メインがフルートだし、5拍子だし、オシャレだし。

月並みかもしれませんが、音楽の可能性は無限大なんだなぁと。
どんな風にも雰囲気を変えることは可能なんだな、と感じました。

アレンジした感想 – イメージの理解、拡張

逆に、自分がアレンジすると、
まずはこの曲はどういう曲なのか、を理解しようとしてしっかり聞き込むことになります。
それによって、
なんとなくで曲を聴いていると気づかないようなポイントにも気付けることになる。

例えばオブリガートがこんな感じになってて
パーカッションのパターンがこんな感じで、
実は後ろの方でこんな音も鳴ってて、
ということにも気付けたり。

なぜこの音が、ここで、こうなっているのか
を考える必要も出てきます。
理解しようと努めるからこそ、理解できる。
そんな経験ができたと思います。

また、だからこそできることだと思うのですが、
原曲の世界観を引き継いだり、広げたりできるということも
アレンジの面白いところだったかなと。

今回の場合、タイトルを
「太古の森 – 亡国の語り部」という仰々しいタイトルにしてみたんですが。

元々「太古の森」という曲のイメージとして
深い森のイメージがありますよね。
物語に出てくるような、うっそうと茂る木々の奥に秘密が隠されているような。

だから、太古の昔から生えている「長老の樹」みたいなのがいて
この地域の歴史を全部知っているのではないか。
もしかしたら、昔繁栄していた王国が潰えて
その伝説を語ることができるのは「長老の樹」だけ、
みたいなエピソードがあるかもしれない。

「太古の森 – 亡国の語り部」という曲を提出する際に
こんなサイドストーリーも併せて、主催者のあべしさんに送っていました。

~~~~~~~~~~
太古の森の奥には1000年の昔よりこの国の歴史を見続けてきた長老樹が厳然と根付いているという。
過去に栄華を誇った王国についての伝説を聞くため
冒険者たちは長老樹の待つ太古の森へと足を踏み入れるのであった。
果たして、今は亡き王国に隠された真実とは!
~~~~~~~~~~

・・・やや中二病っぽいですかね。。

いずれにしても、音楽を通じて
音楽以外の面でもイメージを共有、拡張することができた、
というのが面白い点だったなと思っています。

拡張ではなく、捻じ曲げている可能性もありますが。。。
まぁ、そこはそれ、今回の企画はラフな感じの企画だったので、ということで。

コーライティングという言葉

今回のアレンジ祭に参加しながら、
そういえば、コーライティング(Co-Writing)という言葉があったな、というのを思い出しました。

コーライティングとは。
ひとつの曲を作る際に、分業制にしてやろうぜ、
ということです。

作曲、作詞、編曲をそれぞれ別の人がやったり、
その後の演奏、レコーディングを、
各楽器を別々の人がやったり(ボーカル、ギター、ベース、ドラム、etc…)
さらにミックスを別の人がやって、
マスタリングを別の人がやって。

で、今回は作曲者と編曲者が別の「分業制」をやったわけです。
これも、コーライティングの一種と呼べるのかしら。

そもそも、コーライティングという言葉が流行ったのは
つい最近(2015年、2016年ぐらい?)だと思うのですが。
音楽を分業で作るというのは
別にこれまでの音楽業界でも普通にやられてきたのではないかと思うので
なぜいまさら「分業にしよう」ということが流行ったんだろうと思っていました。

考えてみれば、DAWソフトなど、DTMをやる環境が整ってきたことで、
頑張れば一人で曲を作れる時代になったわけです。
ネット上でも数多くのDTMerさんが存在し、
それぞれ個人で曲を製作されている方も多いと思われます。

なので、もちろん一人で楽曲を製作することもスゴイことなのですが、
それぞれで得意分野で分業した方が
よりクオリティの高い曲が作れるんじゃないか、という提言と、
その方が色んな音楽家にお金が流れるよね
という経済的な話もあいまって
「コーライティング」という言葉が叫ばれたのかと思います。

今回の「アレンジ祭」でコーライティングの一端を見たのかなという気もします。
世の中には、たくさんの素晴らしいアーティストさんがいらっしゃるので
自分にできないことを、他の得意な人にやってもらう、
ということがもっと気軽にできるようになっていくと
音楽の世界も広がっていくのかもしれません。

なにごともやってみたもん勝ち!

僕自身、DTMerとしてはペーペーなので、
正直クオリティ面では自信はありませんでした。

ただ、ラフな感じのイベントだったことと、
ブログで知り合った影山さん(@heartleafkk)が呼びかけていたことで、
参加してみようかな、と思ったわけです。

結果、
先述した通り、音楽面で勉強になったのと、
色んな音楽家、DTMerさんとTwitterで繋がることができたこと、
そして、意外と自分でもできること
がわかりました。

僕の作曲した「SummerParty」を流してもらったときも、
「パーリナイ!」な雰囲気を感じてもらえればいいと思っていたのですが、
意図した通りのコメントを頂くことができましたし、
アレンジ曲の「太古の森 – 亡国の語り部」も
「壮大な伝説が語られる」というイメージ通りのコメントを頂けました。

もちろん、タイトルによるイメージ操作もありますし、
社交辞令で言っていただいている面もあるのだろうとは思いますが、
少なくとも「イメージを伝える」ことはできたのかなと。

より違和感なく、よりいい音を、
と考えた場合には改善点がいろいろあるかと思いますが、
やってみれば「意外とできることもある」ことに気づいたりもできます。

自信を持つには、まずやってみることから、なんだろうな。

まとめ

ということで、夏休みアレンジ祭に参加したよ、という話でした。

モノを作るには
一人で抱え込まずに
何事もやってみる、
というのが大事なんじゃないか、という話です。

楽しいイベントでした。
また冬休みもやるつもり、とのことでしたので、
参加したいと思います。

それではまたー。

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