ほめて伸ばすのか、けなして叱るスパルタ教育をするのか、どっちがいいの?
こんにちは。ボイストレーナーのでんすけ(@densuke_snail)です。
今回は「ほめて伸ばす」vs「スパルタ教育」
みたいなことで考えてみようと思います。
「教える」ということを議論するときに
よく対立軸として出てきますけどね。
結局どっちがいいの?という話。
でんすけの持論、ほめて伸ばすべき
先に僕の答えから行くと、
ほめて伸ばす一択です。
僕はボイストレーナーをやっているのですが、
だいたい歌を歌ってもらって、それを聞いた後、
ほめるところから始めるようにしています。
特に、初めて教える人に対しては。
理由は簡単で、
ほめられた方が相手がうれしいだろうからです。
いや、それは「教える」ことと関係ないじゃん、
という話に聞こえますが、そんなことはなくて。
その方が、まずやる気になりませんか?
いきなり「お前の歌、全然だめだよ」と言われるより
「あ、こことここは良かったですよー」と言われた方が、
ちょっとうれしいし。
で、その後、
「でも、こことここは直した方がより良くなります」
と伝えてあげると、
なるほど、そこだけ直せばいいのか!となります。
教える側としては、相手に成長してもらいたいわけです。
そのために、心が折れてもらっては困るわけです。
そこをうまくフォローするのも、「教える」の範疇だと思うのです。
ほめ方も大事
ほめて伸ばすのがいいよ、とは言うものの、
何でもかんでもほめればいいと言うわけでもないので。
具体的にどうやってほめればいいのかというと。
- 何がよかったかを具体的にほめる
- 成長したポイントをほめる
- 無理してまでほめない
というところでしょうか。
何がよかったかを具体的にほめる
ほめるにしても、具体的にほめるのが良いです。
「高音が出ていて、表現豊かで良かった」とか。
ざっくりと「おぅ、良かったよー」
とだけ言ってしまうと
何がよかったかわからないために
本人の成長につながらないので。
歌を歌うでも、勉強をするでも、なんでもいいんですが、
何をやるにしても、良かったポイントも、ミスしたポイントもあるはずです。
「良かったよー」だけ言ってしまうと、
ミスしたポイントまで含めて「良かった」となってしまうので
あまりざっくりとほめない方が良いと思います。
試験やライブなどの本番が終わった後に
「良かったよー」「頑張ったよー」と褒めるのは
あれはいいと思いますけどね。
あれは一つのセレモニーみたいなもんなので。
成長したポイントをほめる
とくにほめるべきポイントとして、
成長した所を具体的に言ってあげる、ということです。
単純に言われてうれしい、モチベーション上がる、
ということも大事ですし。
あと、「成長できた」という実感って
意外と自分では気付かなかったりするもので。
そこで教える側が「できとるで」と伝えるだけでも
理解度が違うと思います。
無理してまでほめない
で、別に無理してほめなくていいので。
同じようなことを何度もほめてみたり、
嘘をついてまでほめなくてもいいと思います。
場合によっては、何度やってもできなくてヘコんでる、という時に
「いや、でもここまではできてるんだよねー」
と持ち上げてあげて、モチベーションを保ってもらう必要はあるかもしれませんが。
それでも、同じようなことばかりほめたり、
嘘をついてまでほめてしまったりすると、
教える側の信用力がなくなってしまうので。
ほめることが何もなくなった、というときは、
生徒が成長していないとき、だと思われるので、
アプローチのしかたを変えて、別の教え方を試すときかもしれません。
スパルタはダメなのか
さて、ほめて伸ばすべき、と書いてきましたが、
じゃぁ、スパルタ教育はダメなのか、というと。
べつに、そういうわけでもないと思うのですよ。
いや、どういうことかと言うと。
例えば歌を歌うにしても、
例えば算数で計算問題が解けるようにするにしても、
ある程度「繰り返し練習」というのが必要になります。
ある意味「つらい」練習をしないといけないのですが。
それを繰り返し「やらせる」には、ある程度「強制」させる必要があります。
そんなときに
「はい、ロングブレス1分間!」とか
「はい、計算ドリル10ページ!」とか
無理やり課すわけですね。
もちろん、本人が勝手にやる、というストイックな人ならいいんですが、
そういう人たちばかりではないので。
そんなときは、心を鬼にしてやらせる、というのも必要です。
理不尽なスパルタはダメ
よく「スパルタ教育」という言葉で想像されるのは、
教える内容すべてが理不尽なまでに強制させられていたり、
常に厳しい言葉を浴びせられたりしている光景だと思いますが。
あれは、僕としては意味のないことだと思っています。
先ほど書いた通り、どんな分野でも
ある程度我慢してくりかえし練習するなど、
つらい練習が必要なものは必ず出てくるはずで。
それを我慢してやる、というときに「スパルタ」的な発想を使えばいいわけです。
「なんでこんなこともできないんだ!バカかお前は!」
みたいなの、教えられる側としても楽しくもなんともないし、
やりたいとも思わないわけです。
教える時に、生徒のモチベーションが下がるのが一番効率が悪いです。
そういう意味で、「理不尽なスパルタ」はダメだと、僕は思っています。
叱るということ
理不尽に「バカか!」のようにののしることと、
「叱る」ということもまた別物です。
「叱る」という言葉を辞書で見てみると、
「目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる」
などとあります。
社会的な倫理にかんがみたり、その場のルールを適用して
そこから外れたものを「それはダメだぞ」と伝えること、
それが「叱る」ということだと考えられます。
あくまで、倫理やルールから外れていることを教えるための行為で、
練習中のことができないときに、ののしったりなじったりするのは
「叱る」ではなく「怒る」です。
僕がボイストレーナーをやっている中で、
「叱る」ということはほとんどありません。
一般的な社会生活の中で、
倫理やルールに外れた言動って、あまりないですからね。
ときどき、連絡なしに休んだり遅れてきたりする人がいるので、
そういう場合は「どういうことかな・・・?」と諭すことはありますが。
まとめ
ということで、ほめて伸ばすか、スパルタでやるか、という話でした。
基本、「ほめて伸ばす」が効率がいい、
と僕は思っています。
あくまで僕の意見なので、別意見をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、
「スパルタ」だと言いながら、単に「怒っている」だけ、
というパターンも少なくないと、僕は思います。
一度、単に「怒ってる」になっていないか
自分の教え方を見直してみるのも良いかもしれません。
それではまたー。
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— でんすけᔦꙬᔨボイストレーナー (@densuke_snail) March 9, 2018
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