「好きなことだけで生きていく」のはダメなことなのか?どうやって「好き」で生きていくか考えよう


こんにちは。ボイストレーナーのでんすけ(@densuke_snail)です。

「好きなことで、生きていく」という言葉、
一時期、YouTubeがCMのキャッチコピーとして使っていた言葉です。

あるいは「好きなことだけで生きていく」という
堀江貴文さんの本もあったりしますが。

今回は、この手の言葉について書いてみたいと思います。
「好きなことだけで生きていく」って、ダメなことなの?



「好きなことで生きていく」なんてやめた方が良い?

そもそも、「好きなことで生きていく」なんて、無理だし、やめといた方が良い
というのが、まだ日本の世論の大半なんじゃないかと思うのですが。

そこにはいろんな理由があって

  • お金は汗水垂らしてもらうモノ
  • 好きなことばっかりやってると罪悪感あるよね
  • 社会に必要ない活動だよね
  • 好きなことでちゃんと生きられている前例がない or 少ない
  • トップランカーしか食えてない実状がある
  • 将来を考えると不安定だよね

というような理由が挙がってくるのではないかと思います。

汗水垂らすような仕事しか尊くないのか

「お金は汗水垂らしてもらうモノ」だったり
「好きなことばっかりやってると罪悪感あるよね」
という考え方の裏には、
「仕事」をすることが尊い、という考え方があるように思われます。

ここでは、そもそも「仕事」ってなんやねん、という話と
「ほんとに尊いのか」という話を分けて考えないといけないと思います。

まずは「仕事とは何ぞや」という話から。

「仕事」とは何か

「仕事」という言葉で想像するのは、
例えば、工場で品物を作る作業だったり。
例えば、営業で仕事を獲ってくることだったり。
例えば、建築現場で現場作業をすることだったり。
例えば、飲食店で接客をしたり。
例えば、オフィスにこもってプログラムを書いていたり。
ということですよね。

これららがなぜ「仕事」と呼ばれるかというと、
お客様のニーズに応えることでお金がもらえて、それが給料になる
という一連のサイクルが回っているから、です。

では、いわゆる「好きなこと」をしているとされる
ブロガーやら、ユーチューバーやら、音楽家、芸術家、その他フリーランスは
どうなっているかというと。

例えば、ブロガーはブログを見たい人がいるから収入がある。
例えば、ユーチューバーも、動画を見たい人がいるから収入がある。
例えば、音楽家は動画やゲームに音楽を使いたい人がいるから収入がある。
例えば、芸術家は調度品としてのニーズや愛好家がいるから収入がある。
例えば、その他フリーランスも、お客様のニーズに応えていて収入がある。

お客様のニーズに応えることでお金がもらえて、それが収入になる
というサイクルは、ほぼ一緒です。
一旦会社にお金が入って給料になるか、
直接自分でお客様からお金を受け取るかの違いぐらいです。

となると、ブロガー、ユーチューバー、音楽家、芸術家、その他フリーランスなども
立派な「仕事」と言えるわけですよね。

「仕事」の尊さは「しんどさ」?

でも、「しんどさ」が全然違うよね。
会社に勤めて一生懸命働くのとは違って、
ユーチューバーなんて、ちょっと動画撮って、YouTubeにアップしておくだけで、
あとは鼻くそほじってるだけで収入あるんでしょ!

というイメージを持たれているかもしれませんが、
それも違います。

そもそも、「ちょっと動画撮って、YouTubeにアップしておくだけ」という作業の
コストの高さが理解できていない

YouTubeの収入は、動画1回再生につき0.1円ぐらいだと言われています。
その情報を信用して考えるとすると、
YouTubeだけで食っていくだけの収入(月30万ぐらい想定)を得るには、
だいたい、10万回以上再生される動画を、毎日配信する必要があります。
もしくは、300万回以上再生される動画を、毎月配信する必要があります。

ヒカキンのようなトップユーチューバーであっても、
毎回300万回はさすがにいかないわけです。
毎日動画を作ってアップロードして、だいたい数十万回再生ぐらい。

ということは、ヒカキンほど再生回数が伸びないユーチューバーであれば、
なおさら毎日動画をアップするしか安定収入にはならない。

動画を一つ作成するだけでも、
・まずどんな動画を作成するのかのアイデアを考える
・アイデアを実現するための小道具や場所を確保
・実際にカメラを回して撮影、NGがあったら録りなおし
・編集で動画のクオリティを確保
ということをやって、ようやく完成する。
1日仕事どころじゃない場合もあります。

僕自身も、こちらのチャンネル
ボイトレ練習用の動画などを投稿したりしていますが。
ほぼ文字だけの動画だったりするものの、
音源を作って、動画編集で文字を入れる、ということだけでも意外と1日かかったり。
アイデアが毎日浮かんでくるたぐいの動画でもないので、継続性も高くないですし。

つまり、
毎日、そこそこのクオリティを継続する努力というのは
いかに「好きなこと」であってもやる必要があるわけです。

トップユーチューバーの動画内容がハイテンションなエンタメ動画がほとんどであることから、
「あんな動画を作るなんて大した作業じゃない」というイメージが出るのかもしれませんが、
実際にやってみれば、その難しさ、大変さはわかるはずです。

ユーチューバーだけを取り上げて話を展開しましたが、
その他のフリーランスのお仕事も同じようなことです。

たしかに、いつその作業をやるかは本人の自由になるでしょう。
何時に起きて、何時に寝て、みたいなことは縛りがありません。

ただ、やることをやらなければいけない時間は確実にあるわけで、
その「仕事をしている時間」が多少長いか短いか、
朝型なのか夜型なのかの違い程度に過ぎない、ということです。

「仕事」=「尊い」、「好きなこと」=「尊くない」なのか

「好きなこと」だけを続けるのが大変なのは理解できるけど、
でもそれは尊いことじゃないよね、
という意見もあるかもしれません。

それも、そんなことはないと僕は思います。

「尊い」ってなんだ?という話なんですが。
おそらく、一般的な解釈として、
「社会のニーズを満たす」というのが「仕事の尊さ」につながっているのだと思われます。

昔から「働く」とは「傍(はた)を楽(らく)にするから働く」なんだ、とよく言われますが。
つまりは、大変だったり、能力的に難しいために、
お客様が自分ではできないことを代わりにやってあげる、ということで
傍(はた)が楽(らく)になって素晴らしいよね、という話だと解釈できます。

では例えば。
歌が上手くなりたいなー、どうしたらいいだろう。
と悶々と悩んでいる人がいるとして。
その人に「あ、僕それ得意だから教えられるよ!」
と教えてあげるのは、どうでしょうか。

その人が、自分でできない「歌が上手くなる」という行為に対して
他人である僕が、それを教えてあげる。
情報提供をして、実際にやってみて、良くないところを指摘する。

これは、傍(はた)を楽(らく)にしてることですよね。

ユーチューバーも同じです。
「あーヒマだなー、なんか面白いことないかなー」と
自分自身で「楽しい気分」になれない人に対して
「こんな動画を見ると面白いよ!!」と
自ら動画を作って配信する人がいれば。

それも、傍(はた)を楽(らく)にしてることですよね。

「ニーズに応える」=「尊い」なのであれば、
「好きなこと」をしているとしても
それは「尊い」ものになり得るのではないでしょうか。

「好きなこと」は生きるのに必要ない?

でも、正直「歌が上手くなること」とか
「動画を見て楽しくなる」こととか、
生きていくのに必要がないよね、
やっぱり「尊い」仕事じゃないんじゃない?
と思われるかもしれません。

確かに、いわゆる「好きなこと」は、生きる上では「必須」の行為ではないかもしれません。
でも、だからダメ、なんでしょうか。

例えば、マズローの5段階欲求、というものがあります。

マズローの5段階欲求

下から順に、
「生理的欲求」:食欲、睡眠欲など、生きるのに必須な欲求
「安全欲求」:雨風をしのいだり清潔、健康で安全に生きる欲求
「社会的欲求」:他人と繋がりたい、集団に属したい欲求
「尊厳欲求」:人から認められたい欲求
「自己実現欲求」:なにかを生み出したい、創造したい欲求
です。

一番下の欲求がある程度満たされると、ひとつ上の欲求が発生する、
というように、段階的に欲求が発生する、という
人間の欲求がどのように発生するかを説明した理論です。

基本的に、生きていくのに必須だと思われるのは、
「生理的欲求」、および「安全欲求」を満たしてくれるもの、
それ以上の欲求は、無くてもとりあえず生きてはいける、と考えられます。

食料があって、そこそこ清潔なトイレがあって、
雨風をしのいで安心して寝ることができる場所、
それさえあれば、とりあえずは生きていけますよね。

で、いま世の中にあるもの、
例えば、車、テレビ、パソコン、スマホ、
その他家の中にあるものなどを見渡してみて下さい。

それらのものは、マズローの5段階欲求のうち
どの欲求を満たすものかというと。

基本的には、
・他人と繋がりたい
・他の人も持っているから自分も仲間に入りたい
・話題に遅れないようにしたい
・より高度な活動をするのに情報を得たい
ということですよね。

つまり、いま一般的に「仕事」と呼ばれている活動で作られている大多数のモノは
「社会的欲求」以上の欲求を満たすものです。
言い換えれば、「生きていくのに必須ではないモノ」です。

そのモノを作る活動が「尊くない」とは、ほとんどの人が言わないはずです。
車を作っている会社、便利なものを作ってる。
テレビを作ってる会社、情報やエンタメを届けてくれる。
スマホを作ってる会社、先進的なシステムを作ってる。
どれもすごい。
けど、チョー極端な話をすると、「生きるには必須じゃない」アイテムばかりです。

いや、それらが無くなったら困るだろ!と言われるかもしれませんが、
それは欲求が満たされることを既に知ってしまったためです。
欲求を満たすのが普通になってくると、それらが無くなった時に苦痛だからです。

つまり。
「好きなこと」でくくられる活動は、
何かしらの欲求を満たしてくれる活動になっているはずなのですが、
世間一般が「欲求を満たしてくれる」ということを知らないために
「なくてもいい活動」をやっている奴ら、
というレッテルを貼られているに過ぎないわけです。

「好きなこと」は生きるのに必須ではない、それは確かかもしれませんが、
「無くてもいい」と結論付ける理由にはならないのです。

「好きなこと」では稼げない?

さて、「好きなこと」を仕事にすると
結局お金が稼げないよね、
と言われてしまうものです。

これは、確かにそうで、
個人事業主の7割近くが、3年後には廃業している
というデータを目にしたこともあります。

・・・数値の信ぴょう性については議論が分かれていたりもするようですが、
まぁ、3年もったらいい方だよね、という風潮があるのはわかります。

なぜ「好きなこと」で稼げないのかは、
色んな理由が絡んでくるのだとは思うのですが、
一番の問題は、稼ぐ方法が確立していないということではないかと。

ある程度の規模の会社であればそこそこ「軌道に乗った状態」なので、安定して稼げたり、
事業が成功した人は「運」がよかったり、
成功の方法が何となくつかめてうまく動けたり、
というところで、
稼げている人たちは、それ相応のメソッドでやれてきたのに対して。

「好きなこと」をしようとして個人で頑張っている人なんかは
「稼ぐための方法」が分からなかったり、
それに目もくれずに突っ走ったりしてしまうのかもしれない、と。

それは、「稼ぐための方法」が難しかったり、理解できなかったり
あるいは興味が持てない内容だったりするから
なのかもしれません。

最近、音楽関連のTwitterでよく騒がれているのは、
この「稼ぐための方法」を少しずつ簡単にしようという動きがみられていることです。

各種クラウドファンディングが登場してきたり、
VALUという、個人が株式会社になったように資金調達するサービスができたりしています。

音楽に限った話でいうと、
YouTubeで広告収入ができるというのも一つの方法だし、
iTunesなどの配信サービスに一括して配信できるTuneCoreというサービスもあります。

あるいは、ココナラなどのネットマーケットでモノやサービスを売ったり、
各種クラウドソーシングで仕事を請けたりすることもできます。

これらは、「稼ぐ」という活動をできるだけ簡単にしようという動きだと言えるのだと思います。

「好きなこと」だけで稼ぐ、というのは、
まだ今の時代はハードルの高いことかもしれません。
が、着実に時代は進もうとしているように見えます。

「好きなこと」をやるのはダメなことではない、という考えが浸透して
「好きなこと」だけで稼ぐ方法が簡単になってくれば、
「好きなこと」をやらない理由がなくなっていくのではないかと思います。

まとめ

ということで、「好きなことで生きていく」ということについてでした。

「好きなこと」で生きていこうと考えること自体は、
なにも悪いことではないということです。
もちろん、悪いことをたくらんだり、犯罪を犯すようなことはダメですが。

「好きなこと」は稼げないとは言いますが、
少数ではあっても稼げている人がいるのは事実なのと、
稼ぎ安い方法、というのをいろんな人が考えてくれています。

それらをうまく使っていくことで
「好きなこと」で生きていく方法をうまく模索していきたいですね。

それではまたー。

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